ありす野郎の腑

アホがなにか書いていますよ ※ひっそりと、さばいばーさんを応援しているよ

Chaining Intention⁉隙あらばイド井戸イド!(でもいいじゃん)しかし、ハルキストではありません。嫌いでもないですよ

ありすなりに、作品を楽しむことと、こんな風に考える読者も少なくはないのかもしれないという気持ちも含めて書いてみました。村上春樹作品のことを。(だって薦めて下さったかたがいるし、でも、中学生の頃に手にしたときには面白いとは思えなくて......時を得て本を読み返すという作業も良いことなのですね)

「色彩を持たない
多崎つくると、彼の巡礼の年」

という作品は
1Q84
海辺のカフカ
世界の終わりとハードボイルドワンダーランド
羊をめぐる冒険等の作品と違い、ファンタジーの要素が無く
まるで上記4作品の答え合わせのような
設定と内容になっていると思いました。

今までの作品というか、特に上記に挙げた4作品(1Q84 海辺のカフカ 世界の終わりとハードボイルドワンダーランド 羊をめぐる冒険)では、主人公達や主人公が、現実(いるべき世界)と非現実(いてはいけない世界)に紛れ込みます。まるで、浦島太郎みたいに。
わたしなりに解釈すると浦島太郎は、自己に引きこもった末に何も得ることのできなかった、世の中の敗北者(?)そのものになってしまうのですが……発想が貧困で申し訳ありません;

浦島太郎みたいに、取り返しのつかない(というか気づいたらマズすぎみたいな.....これでは、まるで自身のことじゃあないですか)ことにはなってはいませんがファンタジーと現実を行ったり来たりすることが多い作品の中で

【色彩を持たない
多崎つくると、彼の巡礼の年】という著書では、主人公はファンタジー世界に入ることなく
ずうっと現実の世界にいます。

ノルウェイの森」(現実)
から始まって
紆余曲折の後に
「色彩を持たない
多崎つくると、彼の巡礼の年」(現実)
で、自らの意思でしっかりと地に足をつけ生きようとするまでの
著者自身でつくりあげた別世界にいる著者村上春樹自身のゆっくりとした成長記録(もしくは過去の著者自身への語らい)なのかなあと考えた。

上記で「ゆっくりとした成長記録」と表現しましたが
著書の中の主人公つくるは全くゆっくりとはしていません。
まるで現実世界から取り残されたような抜け殻のような、置いてきぼり状態を感じているような、そこから抜け出すために孤独と葛藤している雰囲気を感じました。実際孤独感と謎に包まれていて、そこから違う場所へ、あたたかな場所へ行きたいと願うような…。
小説は飄々と淡々と書かれていますが、つくるは精神的に相当辛い目にあっています。
この作品が村上春樹の今までの作品の答え合わせだと考えている理由なのですが、【色彩を持たない
多崎つくると、彼の巡礼の年】においては、ファンタジーな要素を排除した物語(作品)になっていて、それは主人公つくるの「死にたいけど死に至るきっかけがなかった事とその理由から始まっている」物語で作品のタイトル通り、つくるが巡礼に行くことになる仲間達との出会いが「不登校児童」を対象としたボランティアであること。また、つくるが作中で
「普段意識することはないのだが、つくるの体にはひどく繊細な感覚を持つ箇所がひとつある。それは背中のどこかに存在している。自分では手の届かない柔らかく微妙な部分で、普段は何かに覆われ、外からは見えないようになっている。しかしまったく予期していないときに、ふとした加減でその箇所が露出し、誰かの指先で押さえられる。
すると彼の内部でなにかが作動を始め、
特別な物質が体内に分泌される。
その物質は血液に混じり、体の隅々にまで送り届けられる。
そこで生み出される刺激の感覚は、肉体的な物であると同時に
心象的なものでもある。
最初に沙羅に出会ったとき、どこかから延びてきた匿名の指先によって、その背中のスイッチがしっかり押し込まれた感触があった。」

「つくるはメールを送り、彼女を食事に誘った。その感触と意味を確かめるために。」

※一部割愛します
一般的な人なら終始リアルタイムに感情を
味わっているだろうけれど
人によっては、つくるのようにスイッチが入らなければ
なかなかリアルタイムに感情を認識できない人もいるようです。その感情のスイッチが瞬間的に入る時もあれば、30分後、あるいは数年後の場合もあるのです。
(近年は、あまりないけど、筆者もそういうスイッチ機能なタイプな時期がありました。混沌としていたから。)

そしてスイッチの入った感情に戸惑う多崎つくる(36)は、自身が沙羅に好意をいだいたその意味をたしかめるように沙羅を食事に誘っています。やれやれ……

また、つくるは「鉄道」や「駅」その周辺のシステムが好きなようです。
ほぼ間違いなく時間通りに整然と運行する鉄道は、主人公の存在をを置いていくようにめまぐるしく色鮮やかにイレギュラーに移り変わりゆく現実世界を確かに存在していて、リアルタイムで確認できることを示してくれる存在なのかも。(小説にもそうかいてあったような無いような)
筆者自身(ありす)は特に鉄道に興味はないけども。好きなことなら、このブログのような駄文でも書くことがすきなんです。
読むこともすき。もうずっと昔から。文字しか友達いないんじゃねってくらいだったよ

話がそれてしまいましたが、つくるは高校時代にボランティアに参加したのがきっかけでアカ、アオ、クロ、シロという何にもかえがたい友達と出会い、友情を育み共有感を分かち合います。


【初音ミク PV】【HD】.mp4Chaining Intention


シロは、つくるが名古屋を後にしたのちに、シロは精神を病みます。
いつの間にかつくるはその出来事の理由になっていて、大切な仲間達から疎外されて孤独になります。
なんとなく書いておきます、シロの実家は産婦人科です。


筆者には、つくると似ているところがあります。恋愛感情のスイッチが入ったことにきがつけなかったことや。
人生全てにおいて感情のやり取りが遅延し続けたところ(これは筆者だけの問題というわけではないのですが…)なんかが特に。

筆者も、いつか地に足をつけることが出来るのだろうか❔

できる、と信じたい、信じよう

1Q84で、えだまめが(しまった、枝豆じゃないよ、青豆の間違いです;)
「遺伝子だけが正しいとは限らないのではないかと」
と心の内で語ったように。

彼女(青豆)は妊娠していたので、深い意味が込められていることも受け取りました。枝豆イコールメンデルの法則ということも含め。ねえ、あんそにー君、えだまめ(青豆ですね、すみません......)の裏職業ってなんだか知ってるかしら?くーるな青豆さん。クール、にね。特に怒りの感情に。(ついでに自分にも言い聞かせてる 笑)

1Q84という作品においては「自閉症スペクトラムと、そこに関連しがちな児童虐待問題 PTSD 宗教 LGBT 機能不全家族 など」を、村上春樹という人間が体験した視点から書いたそういう作品だという風に思っています。ご自身が背負ってこられた過去を、ファンタジー小説という枠の中で実に読みやすく面白く、読後感も清々しい物語へと昇華させてしまえる稀有な日本人作家なのだなあと。

個人的に思うことがある。発達障害の何割かは愛着障害だと思う。特に、親に相談しても無駄だという絶望感を持って育った児童は、自閉症のごとく他者への発信をしなくなるだろうし情緒が崩壊して解離や、反対に暴力的になる子もいると。併発もあるだろうけれど。ありすは小規模なLD(識字障害)持ちだし。
他の人は村上春樹作品をどのように感じているのだろうかと。なので少数ですがちょっとアマゾンのレビューをみてみると、ふざけすぎたレビューがあったり、当たり前のことですが人それぞれでした。いつも似たような小説だという感想も目にしました。
筆者自身は、この記事にしつこく書いているようにノルウェイの森ではただ混沌の中に置き去りにされた青年だった主人公が、色彩を持たない 多崎つくると、彼の巡礼の年では、自らのトラウマに向き合い、自己を上手くコントロールできるすべを確信し、結婚という人生の節目に取り組むまでに成長した。(ここまでたどり着ける人はどのくらいいるのだろう。どのように自身の空虚との戦いを終えられたのだろう。ありす、気になりまーす♡)
しつこいけどそういう感想です。いつも似たような小説ということなら、テーマに一貫性があり、それを純粋に書き続けただけだと考えています。
小説として退化したという意見も読んだ気がしましたが、退化でなく、完結に近づいた、もしくは完結したと感じました。
作品に正解というものがあるなら著者の中だけにあり、筆者もほかの方も想像の域をこえることはなく、それが小説(物語)という媒体の持つ魅力であり読書を楽しめる大きな理由なのよね。(音楽も絵も、おそらく人間も)たぶん。
安部公房もゾラもすきだけど、筆者がはじめて好意を持った作家はトルーマン・カポーティ。(おーい!アンデルセンとやらはw)カポーティが書く物語の主人公は、、、例えばホリー・ゴライトリーなんかは、この時代なら注意欠陥タイプのADHD愛着障害そのものって感じ。
けどホリーを病人には、したくないなあ。そうだね、たぶん現代はロマンティック不足だから、カポーティは文学なんだね。
文学はロマンティックだとunsui456さんも仰られていたのがよくわかります。今、ありすの書いているロマンとは、違うけども。(雲水さんというのは、コンピューターから見た精神医療というブログを書いてらっしゃる面白い方です。ハテナのID:unsui456だったかなあ…確か、456というのは中華料理屋さんの店名)
死なない程度にロマンティックならね、素敵なことだと思うんだ。

そういえば、カポーティ村上春樹も両者少しだけ共通点が感じられます。

ええと、それからね、村上春樹作品を読むように仕向けてくれた(?!)K.Yさん、ありがとう。

ノルウェイの森色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
までが
わたし(筆者ありす)にとって一つの物語でした。

読んで下さってありがとうございました!おやすみなさい。

おまけ
aliceo0o.hatenablog.com

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